人生譚こども編

自分の人生は、山あり谷ありな人生だった。
死にかけた事もたくさん。
未熟児として産まれて、しばらく入院したそうだ。

それでも元気に育ち
戦隊モノのレッドみたいに格好良くなりたいと
保育園の頃は、戦いごっこをよくやった。
女の子には目がなくて保育園の頃は
女の子を追い掛け回す変態さもあった。
自分の幼児期はクレヨンしんちゃんも
かなりな下ネタが放送されていたから
その影響もあるかも知れない。

小学生時代も半分くらいの時期までは
同じ事をしていたので
自分の小学校の女子はどの学年も
自分が変態だと言うレッテルを貼る
仲の良かった女子生徒も居たけど
他の女子を使って嫌がらせをする主犯格的な存在の
女子生徒も違う学年に居た。
母親に追い掛け回すのは辞めなさいと言われ続け
高学年になる頃には辞めて

オレも、いつかは大人。いつまでもしていたら逮捕。
そう自分に言い聞かせて成長を遂げた

しかし、そこで本当に"好き"ってなんだってなった。
よく遊ぶ女子も居るし男子とも遊ぶ。
好きな性格や、顔や、スタイルや、仲良し度を
考えて何人か恋愛的に好きだなってなった。

でも最後は1人を選ばなきゃって思って
女子の中から、この子が1番好き!と言う子を決めた。

Sちゃんは今でも心の中で好き
好きだって告白する場面を作ったけど
恥ずかしくて照れて変な頼み事して終わった。

小学校時代は運動会の100メートル走は、ほぼ
1位を獲得していた

かんしゃくが、あり気分の波が激しい事から

クラスメイトには迷惑を掛ける事が多かった。
この時高学年から大学病院の小児科で発達障害かも?
と言う事で定期通院していた。

片耳の聴力が弱い事もあって精密検査を併せて小児科で行っていた。

高学年の頃には後輩とも遊んだり幅広く友達が居た。

母親に学校で問題が起きると全て自分のせいにされた。

他の親も自分がやったと疑いの目を向けるほど問題児だったが、かんしゃくや他の生徒への暴行以外は悪さをしていない。

しかし発達障害の気もあったので、小学校時代から母親に「支援クラス行くか?」と脅しを掛けられた。自分はその脅しに痺れを切らし「行ってやる」と上から目線で同意。 

かんしゃくで
よく授業を中断したり1人だけ出来なかった事があった。問題行動も多少起こしていたが
自分の1つ上と下の学年の方が問題児は多かった。

そこで犬猿の中の同じ学年のクラスメイトが
なにか事件があると声を掛けて来た。
自分が否定すると彼は協力して真犯人探しを
してくれた

しかし情報の入る速度は親のレベルも
子供と同じくらい速いので
事件当日に帰ると無実の罪でも何でも
母親に怒られると言う
ツライ日々だった。

何より支援級に行くか?と言う脅しも
精神的にキツかった

だが小学生時代は普通級で卒業まで居た。