人生譚中学生編

中学時代は支援級へ
中学時代は普通級の学校の支援級のクラスに居た。
もうその時には
小学生時代には聞こえと言葉の教室に
いったり、小児科で心理テストをしたりしていたから

薄々、自分は障害者なんだと思った
それが中学時代の支援級に行った事で
確信になった。

最初はドッキリであってくれと
望むくらい支援級に居る自分を受け入れられなかった。

しかし放課後は教室で3年生の先輩とレゴがあったので、遊びながら話していた 

ある日、その先輩にひき逃げ犯を恨んで無いのか
聞いてみた

3年生の先輩は事故で左半身麻痺の状態で過ごしてる。
母親も含めて小学生時代の憎い奴等がたくさん居た自分は、彼が「恨んでも仕方ない」と言う言葉を発して、
今までの事を許してみようって少し思えた

なぜなら左半身麻痺までさせられた彼は
仕方ないで片付けて
未来に向かって生きているんだと思ったから。

しかし、今思えば彼の諦めの言葉だったかも知れない。
まともだった身体を奪われて
取り返せないと言う現実が先輩は
痛いほど分かっていたのかも知れない。

先輩は許したのでは無く諦めただけだった。
でも当時の自分は
許してみてごらんと言われたような気持ちになって

支援級の1つ上の先輩とも良好な関係を
そのあとから築く事が出来た
3年生の時の運動会100メートル走
小学校時代に一緒に走りたかった男子と
走り、負けたが卒業の年に最後
普通級の男子を運動量の差がある中
1人だけ追い越したのは気持ち良かった

特に支援級のクラスで
一緒に暮らした先輩後輩には
慕われて
高校生活でも別々の学校に
行っても関係は続いた。