自分の高校生活は波乱だった
チャレンジスクール受験(不合格)
1回目の高等学校(特別支援学校)副校長と面談。
副校長に「小学校時代のクラスメイトに胸を張れる様になりたい」と泣き叫ぶ様に訴える。
帰宅後3・11の東日本大震災を経験
愛の手帳(障害者手帳)取得の
心理テストを受ける。
結果は基準を越え、取得ならず。
愛の手帳無しでそのまま1回目の高校に入学
2年生の障害の軽度のクラスで障害者手帳取得しようとする生徒に担任が
「心理テストの問題はわざと間違えて来なね」と発言
自分は卒業せず辞めるつもりでいたが、その発言で強く支援学校を
辞める意志が固まった。
理由はこの学校を卒業して障害者雇用で働いても、小学校時代のクラスメイトに胸は張れないと確信したからだ。
2年生で行く沖縄の修学旅行で部屋が一緒だった自分の担任に「進路どうする?」と聞かれる。
自分はココで退学出来るチャンスだと思い、
ココを逃したらいけないと思った。
口から出たのは「大学行きたい」と言う言葉。本当は学校を辞めるなら
口実は何でも良かった
3年生から校内で自主勉が許された
卒業したら特別支援学校の
卒業資格では大学には行けないので
自主退学の時期も担任と決めて
しばらく居させてもらった。
まずは退学して普通級の高校の卒業資格を取得するのが目標になった。
高等部卒業相当資格を1年の頃の担任から勧められて取得を目指して勉強したが、この辺は記憶があいまいで、
なんだかんだチャレンジスクール二度目の受験に切り替わっていた。
2013年12月頃だったか1回目の高等学校自主退学
チャレンジスクール二度目の受験(不合格)
浪人の1年間
PSvitaをきっかけに
トロフィー集めに目覚める
私立の通信制高校でありながら形は全日制と変わらない高等学校に2015年入学
2017年に長年てんかん発作や聴力を診てもらっていた小児科を、その私立の2年生の時にメンタルヘルス科に転科
調査入院を夏休みにする
この時期より少し前の2016年の
10月5日からTwitterをPS4で始める。
中学校時代の後輩と遊ぶ事がまだあり、連絡手段として始めるきっかけとなった。
Twitterの病み垢の影響で父親からの過去の暴力を思い出し、自らも病み墜ちする。
しかしそれでもゲームの事は呟き続けていた。
病み墜ちしたまま、普通級の高校を
なんとか無事卒業。
2回目の高校は人間関係では問題無く、
不満も無かった。胸を張って卒業出来た。しかし病み期まっしぐらだった。
それが残念_| ̄|○ il||li
2回目の高校卒業(2018年)